ART LIVES TORIDE ここで芸術が生まれる。

荒川 弘憲

僕は今28歳なんですけど、高校は都立工芸高校というところで、インテリアの勉強をして、イスや棚をつくったりしてました。それが芸術とか、ものづくりを本格的にはじめるきっかけです。

そのあと、アクリルディスプレイをつくる会社に就職して4年働きました。仕事は大変でしたけど、いろんなことをやらせてもらえる会社でしたね。就職したときから、いつか大学に行きたいなと思ってて。貯金が貯まったので辞めたんです。

最初はデザインとかプロダクトとか、そういう勉強をするのかなって気がしてたんですけど。そのころもやもやしてたことを友だちに話したら、それを受け入れてくれるのは藝大の先端芸術表現科くらいしかないって教えてくれて。それで、目指すようになりました。

取手の詩 (2020)

もやもやっていうのは、いろいろあるんですけど。どうしてこんなに働かないといけないんだろうっていう仕事に対すること。あとは父親が牧師だったっていうのもあって、育ってきた宗教のルールと、社会に出て知ったふつうのルールみたいなものを行き来するなかで感じることとか。

あとは、自然と人工みたいなもの。小さいころに育った自然の多い町と、東京とのギャップみたいなものが重要だった気がします。小学校の登下校で雨が降ると、裸足で帰るのが好きだったんですけど、東京はそういう場所じゃないんだろうなと感じたり。

自分の道徳観で、自分の人格に合っているものを追求してもいいんじゃないかなっていうのは、ふつふつとあったんですよ。

大学に入るころは、俳句をつくったり、ワークショップをやったりしていました。働いてみて、社会に対して思うことが作品に表れることが多かったですね。それが藝大に入って、違う領域もあるんだっていうことに目が向くようになりました。

自分が作品をつくるって、すぐにアイデアが尽きちゃうと思ってたんですけど、ぜんぜんそんなことありませんでしたね。

道路にビー玉を敷き詰めてみたり、湖に棒を立ててみたり。これは野球場のフェンス越しに、いちょうの木が溢れているんですけど。境界みたいなものを越えていくみたいな。はみ出したり、増殖したり。こういうのいいなって。

interference (2017)

公共の場所みたいなところを、軽く私有化するというか。そういう意識があるんだと思います。

ただ、それだけで語れることではないというのは、よく思っていることです。腹の虫がおさまらないとか、虫の知らせとか、その手の虫がつく慣用句がありますけど、その意味での「虫」の存在がきっと鍵になってくるんだと思っています。

Jamscape Insectcage(2021)

虫かごを並べた作品はターニングポイントになっていて。ここで気づいたのは、子どものころの記憶に戻るっていうことだったんです。虫かごって、僕の子どものころを思い出させてくれるもので。

社会人だったときは、しっかりしなきゃっていう意識がすごくあったんです。大学に入った当時も、革靴で大学通ってたし。そういう感じだったんですけど。大学で過ごすなかでそういうのが、子どものころの記憶を訪ねるたびになくなっていって。子どもと大人が混ざり合ってるみたいになってきた。

大人の自分だけで世界をみるっていうのは、自分にとってしっくりきてない気がするんですよ。僕には小さいころの記憶もあるわけで。それを切断して、大人になった自分だけで生きるっていうのは。できるだけ昔の自分みたいなものもないまぜになって、一緒に世界のなかで生きよう、みたいな。そういうのを手がかりにしながら、硬い部分と幼い部分みたいなのを混ぜている感じなんです。

混ぜるということをしたいと思って、最近は砂場の研究にたどりつきました。今、つくりたい作品のアイデアがいっぱいあるんです。ひとつずつ、焦らずやっていきたいと思っています。