ARTONE Art Studio
(アートネアートスタジオ)
─正木 浩司
大学に入学したときに取手市でアパート借りたのが最初なので、取手に住んでもう26年です。
私が最初に取手に来た当時、オウム真理教の事件があった影響で、外から得体の知れない存在が入ってくることに対して住民が敏感で、広いところを安く借りようとすると何か悪いこと企んでるんじゃないか、みたいな目で見られる時代だったんですけど、取手の場合は、あ、絵描くのね、芸術家さんなのね、っていう感じでウェルカムな土壌があったので、ものすごく活動しやすかったです。
アートネアートスタジオは今年2020年で10周年を迎えました。ここは自分たちで作ったという感じです。
共同スタジオをつくったのは、作家にとって大学出てからどこでどうやって制作を続けていくかというのは大きな問題で、当時イベントで集まった同じような境遇のアーティスト同士が自分たちの制作環境を自分たちでどうにかして作れないか、と動き出したのがきっかけです。
ちょうどその頃、利根町に少子化で廃校になったまま使われていない場所があることを知り、活用させてもらえるように動き、それで町や取手アートプロジェクトの協力も得てここを借りられるようになりました。最初はとにかくみんなで掃除しまくって、リノベーションして使えるようにしてきました。
私は今はレリーフ絵画を制作しています。これまでに絵を描くのと平行して立体的なものとか石彫とか色んな表現手段を試してきた中で、レリーフは平面と立体の中間っていうか、中途半端なところが自分の中でピッタリ来ています。それだけでなく、色々やっています。発表の場はギャラリーが多いです。
最近は教育系の仕事も多くて、対象は下は小学生から上は80歳とか、大学でも教えています。各ステージの中にそれぞれのアートっていうのが流れているので、それに刺激を受けながら制作しています。
これは「光源」というタイトルで、このシリーズを始めたのは震災の後です。震災があまりにも酷かった反動で能天気に綺麗なものを作りたいなと作り始めたシリーズです。
光をテーマにしている作品が多いですかね。光って色んな言葉にして考えられるっていうか、夢だったり希望でもいいし、朝起きて何食べたいでもいいんですけど、ちょっとした動機付けみたいなものの集まりを描けたらいいなと思ってやっています。
作品はとことん自分本意というか、あまり社会がどうとかを考えたくないと思ってるんです。昔はもっと認められなくてはいけないと思うようなこともありましたが、今はそういうことではなくて、誰にも見せないでここから10年じーっと作るとか、全て遮断した中で自分のためだけに作るみたいなこともやりたいなと思っています。締め切りに合わせて作るとかじゃなくて、一つの作品に死ぬまで取り組むかもしれない、みたいなスタンスで。
─中村 寿生
私は、自分の使っている画材が、どこで誰が作っているのかとかそういうことがすごく気になっていて「元から作る」ということを心がけています。
日本画をやっているので和紙っていうものをいっぱい使ってきたんだけれど、気づいたら市販されている和紙の90%が外国産だということを知るんですね。それはどういうことだと思って、その辺で素材に興味を持ちはじめ、楮という和紙の原料が国産が少ないっていうところで、じゃあ和紙の原料作っちゃおうっていうことで楮の木を植える活動を始めました。
ここは庭が広くてせっかくアーティストが集まっているから画材を作ろう、紙の原料を作るというのはアーティストの活動としてはとっても面白いんじゃないかと思って。今年で10年目でこれだけ大きく育ちました。毎年12月に刈り取って皮を剥いて、その後白皮にするという作業をスタジオのメンバーと協力団体さんと一緒にして、それを新潟県の和紙屋さんでで紙にしてもらって、我々がみんなで使っていこうという活動です。
東京藝術大学『半農半芸と食・教育・観光 – 創造型体験サービス産業人材育成事業』実習活動の様子 (2018/11)
紙を作っていくと紙屋さんと知り合っていくし、和紙にまつわる仕事がいっぱい集まってくるようになりました。例えば子どもたちに和紙のワークショップを開いていますね。あとは紙を使った仕事、例えば障壁を直したりする仕事。例えば栃木県の足利で古い民家を改装して中を床から壁から天井から全部和紙にするというイベント、和紙で包む家という、そういうことをやっている。なぜ私が和紙を使いたいかという根拠の源になっているというか、自分にとってはすごく大切な活動だと思っています。
私の表現方法は日本画という分野ですが、日本画って、和紙に顔料という天然の石を砕いた色を使ってそれを接着するのに膠というものを使います。膠は動物の皮を煮出した液体なんですよね。植物の上に石を使って動物の接着剤で石を固定していくっていうすごい原始的な。例えばもし温暖化で日本の風土が変わってしまったら楮の木は変質してくるし、動物もいなくなったりしていくかもしれないし、色んなことを考えなきゃいけない。
根源的なところを考えていけば考えていくほど、環境の問題とか、今我々が大事にしなきゃいけないものは何なのかとかそういうことがが見えてきます。それを若い人たちに伝えられたらいいかなと思っています。
─織田 茂雄
60年近く絵を描いています、風景、人物、抽象など何でも、描きたいと思ったものを描いています。
このスタジオには、設立の少し後から入れていただいています。ここは、芸大出の先生が多いので、分からないことをお聞きすると親切に教えてくれます。
11年くらい前まで、約50年間会社勤めをしていました。
なぜ絵を描き始めたかというと、ある新聞に「一つの芸事を20年間続けると、サラリーマンでもどんな人でも、大体一人前になれる」という記事を読んだのがきっかけです。会社勤めは忙しい時期もありましたが、勤務を終れば自由な時間があるので、会社の絵画クラブに入りました。そこに二紀会の先生が講師で来られていて、個性を大事にする方針の指導をうけました。また、油絵を描いていくうちに、素材に興味を持ち、ホルベインの素材を勉強する講座に二年間通いました。
40年くらい前、冬の印旛沼の土手で描いた風景画を第1回日本風景美展に応募したところ銅賞になり、展覧会の会場だったそごうの社長が作品を買い上げて励ましてくださったということがあり、それから絵に熱が入りました。
ここ10年は、よさこい祭りをテーマに、人の動きや、音を感じる様な絵を目指して制作しています。ごく最近は、「土に還る前に描いて!」と言っているように感じた、人が見過ごしてしまうような──例えば道路に落ちている虫に食われたりちぢれたりした枯葉を拾ってきて、絵にしています。これからも変化を求め、自由な発想で絵を描いていきたいと思っています。
─四宮 義俊
仕事する環境がアトリエだったり都内を中心としたスタジオだったりで、行ったり来たりしています。都内でやる仕事っていうのは、成果物の内容を大きなスケールにしていくところです。10のものを100にしていくとか、そういうことをしていく時にはいいんですけど、0を1にする瞬間というのはやっぱりこっちでやってる時が多いかな。こもって何か始めようっていう時にここにいるなっていう気がします。
主に、日本画と映像と立体を制作しています。絵画の場合はギャラリーで展示することが主体ですが、映像、アニメの場合は自分の純粋な作品とは別に各種メディア用、という側面もあります。
今年はコロナがあったので展覧会がいくつか流れました。そのかわり映像の分野では実写の現場が作りづらいということもあり、アニメ仕事の相談が多くなった印象があります。もうすぐ出すものも含めて4本くらい短尺の映像を作っていました。関連してビジュアル関係の広告だったりポスターだったりそういうものも多かったです。来年は一年かけて大きめのものを作るので、今はその準備中です。
日本画と映像というところに距離感があるような印象ってあると思いますが、最近はその中で共通する色合いやコンセプト、モチーフがあまり頓着なく表現できるようになってきた感覚があります。昔は日本画の花鳥風月みたいな世界観に違和感を持っていましたが、実際映像の中にその表現を持ち込もうとすると割と親和性があるというか、違和感なくできるなと感じていて。そこには「動く」という要素が密接に絡まっているのだと思います。
また以前は平面、映像、立体、等々自分の中でどこか線引きしてたところがありましたが最近は割と地続きなものと感じられるようになりました。
自分のすることが全部「四宮ですよ」と出せているような気がして。それは多分、世の中が表現方法について徐々にボーダーレスになってきていて「ジャンルごちゃ混ぜ」の中からでも面白いものを見つけられる層が育って来ているからではないでしょうか。鑑賞する側の許容値も上がってきているというか、そういうことが自分の制作を自由にしてくれてるのかなという気もします。
人間の仕事ということを考えたとき、多分この先、職は山ほど増え、功罪はあるでしょうけど単純労働は機械化されていく──そんな状況になった時、何か自分の持っているものが上手く表現できた時に社会に受容されていくというような形になるのではないかと思うんです。その中でいわゆるアートって体系的な学問を抜きにして、自己表現できるジャンル、なんだこれって思った瞬間を表現できたり、そういう部分がこの先すごく大事になってくると思います。その時に今僕らがやっているような活動が、アーティストだけじゃなくて何かのヒントになればいいかなと思っています。
─中野 公吾
このスタジオを利用して、3年目です。
ロケーション自体いい場所ですし、環境としてはいいよね。気持ちのいい場所です。それが一番大事じゃないですかね。色々電気の問題とか、あるっちゃあるんですけど、皆さん何か制作されているというか仲間がいるということがすごくいいですね。
僕はデザイナーなのでアート作品を作っているわけではないんですけど、ここで主にやっているのは木を切る機械を動かす作業が多いです。
これは星野リゾートのリゾナーレ八ヶ岳ってホテルの結婚式場のオリジナルのリングピローです。そのチャペルをモチーフにして作っているものです。今はこういう感じですけど、諸々やっています。
デザインって請負仕事ですよね、基本的には。そこにどうしてもストレスがあるので自分で何か作って売ったりとかそういうこともやっています。
僕がやりたいのは生活周り全般なので、何が専門ということもないんですけど。あえて言えば僕らの世代はコンピュータの世代なので、コンピュータがあることでできるようになったことってたくさんあるんですよね。コンピュータを媒介として自分のビジョンを実現していける。
僕は元々建築をやっていて、そのあと美大にいって、美大にいた頃からコンピュータを触り始めた。学生の頃はメディアアートとかが流行っていて、ウェブとかね。そういう流れから広がってきた感じなんです。
ここでやりたいということで言うと、家を作りたいなというのはありますね、敷地がいっぱいありますから、作品としての家。住むっていうじゃなくて。せっかくみんなで集まって活動しているので、もうちょっと知ってもらってもいいのではないかなと個人的には思っていて、そういうきっかけになることができると良いのかなと思ってます。
─羽川 幸一
私の母がもともと利根町で食堂をやっていて、そこが空いたところを大学卒業したあとに借りて住んでいました。
この辺を妻とよく歩いていてそのときにこの建物を見つけて、この建物面白いねって、ここスタジオで使えたらいいねって話していて、正木さんとか、山口さんとか入れてスタジオをやってみないかっていうことで、ここを借りることにしました。
最近はあまり絵を描いていなかったのですけどコロナ禍で陶芸水彩とか絵を描いていました。静物画とか。
その前は映像のドキュメンタリーを撮ったり、実験映画を撮ったり、大体学生の頃は半年は映像撮って、半年は絵を描いてという感じでした。油絵科だったので油絵もテンペラも描きますし、立体作品も作ります。
16ミリカメラで映像を撮ってたのでフィルムの編集をやっていましたが、機材が使えなくなった段階でデジタルのカメラで撮るようになって、それで編集やっていたけど、編集機が壊れちゃって。それでしばらく映像の方を離れて、また新たに編集機を買うのが面倒になってそれで絵を描き始めました。
最近はほとんど制作らしい制作をしてないですね。仕事で絵を教えたり、ここに来ても色鉛筆削ったり、こういう古い切手を保存したりするのに時間を費やしてる。作品作っているよりも切手を並べたりとかしてる時間の方が長いかな。
これを自分の作品に使おうとは思ってないんだけど、これを見てると飽きない自分がいるので、切手を見ていて楽しいなという気持ちで作品を作れたらなと思います。
これからもうちょっと絵を描きたいなと思っているのと、映像の方もまた作りたい。ドキュメンタリーを作ってたときはポーランドとか共産主義の国に興味があったので、キューバとかロシアとかに行って映像作品を撮りたいなと思います。昔中途半端に終わっちゃったアイルランドもまた行って撮影したいですね。
─山口 聡一
自分は今ユーカリオというギャラリーに所属させてもらっていて作品を発表しています。
作品のコンセプトは、絵画が完成に至るまでのストーリーも含めてその構造なんじゃないか、というところから制作を進めています。
絵の構造上、最表層に乗っかった絵の具を見て僕たちは絵のイメージを受け取るけれど、完成に至るまでにイメージを表出させるためのやり取りみたいなものが、絵画が独自に持っている魅力の一つだと思うのです。「平面」と呼ばれる絵にも、絵の具っていう物理的な絵の具の重なりがあり、そこに焦点を当てた技法で描くと、みんなが知っている絵のモチーフみたいなのもイメージが変容して見えるんじゃないかっていうことで、名画シリーズ、たとえば真珠の耳飾りの少女とかみんなが知ってる絵のイメージを利用して、絵の具の重なりを見せていくことでイメージを捉え直す、絵画というものを捉え直す仕事をしていきたいなと思っています。そのほかにはお花とか風景とか、いわゆる‘Theよくある絵のイメージ’みたいなものを逆に利用して、絵の具の重なりにフォーカスすると違う見え方するんじゃないかとか、そういうことを考えて制作しています。
漫画が元々好きで、漫画って1枚で見ると平面ではあるんですけど、工場で何千枚って同じページがプリントされてると、制作されている過程で立体だった瞬間ってあるんじゃないかなって。見方によって見え方が変わってくる、それ自体美術の本質的なテーマでもあると思うんですけど、自分の絵も自分が固定概念化しちゃってるイメージの最たるものだなと思って。そういうところも絵描きだからこそ捉え直す、というか、すごく興味が出てきちゃて。
絵のストーリーっていう話でいうと、図らずも絵画って描き順が存在するなと思っていて、だったら最初から描き順があるものもモチーフにしてもいいかなと、漢字とか書き順が存在する文字をモチーフに描いてみようと思ったのがこのシリーズです。文字って言われると意味を受け取っちゃうんですけど、元々は絵だったという成り立ちを持っているので、そういうものをモチーフにして『人』をたくさん描いて、安直ですけど『人々』っていうようなイメージで描いています。
美術だけの話じゃなく、絵に限らず何か表現しているものを見るっていうのは作者の目線で世界を捉え直すっていうことを追体験させてもらっているんだと思うので、だからこそ自分もみんなが気づかないものの見方を提示する必要がある。あ、こういう見方で見ればいいんだ、知ってたことと全然違う風に見えるわ、っていうことが面白いなと思う源泉でもあるのですごく必要で、表現するってそういうことなんだと思います。
─神農 知世
ここを利用する前は井野アーティストヴィレッジにいて、そこからこちらに紹介してもらいました。
元々服飾を目指していて、セツ・モードセミナーという学校に入ったんですけど、そこがファッション科だけには入れなくて、美術科に先に入らなくちゃいけなくて美術科に入ったんです。セツ展というのがあって、卒業の年に最後だから出してみたら入選して、そこから色々広がったりつながったりで美術を続けています。
自分は本格的に美術を学んでないので自己流なんです。
個展などがある時に集中的に作るみたいな感じで、常に作品を作っているわけではないですね。
素材は特にこだわりがあるわけではないんですけど、蝋で紙に描いたりとか、紙にパンチで穴をたくさんあけて木漏れ日みたいなものを作ったりとか。身の回りにある素材で作っています。
─アトリエポレポレ
-森谷 栄之進
ここの活動は週に2回、月・木の午後活動するということにしてます。
前は人数多い時はちょっと狭かったんですけど、今は結構快適にやってますね。ここの制作環境は文句なしですね。庭があるし楮の畑あるし、広さも適当だし、みんなここでストレス解消して帰って行くんです。
私どもは光龍会という絵の団体で、正木先生に指導を受けていたんですね、正木先生を中心にする若手のアーティストがアトリエとしてここを町から借りられるという時に地域貢献ということで一般の町民の絵の愛好家が入ってくれればということで、有志を募って、初めは11名くらいでスタートしたんです。それからほぼ10年経って、一応6名が生き残ったと、こういう感じですね。
いろんなことをやってるんですけども、油絵だったりアクリルだったり、具象だったり、抽象だったり色んな作品をやってます。今先生から出ているテーマが、ちょっと変わったものを、ということなので、今みなさんそういうことで新しいことをトライしてるんですよね。
中村先生は楮作ったりしてますんで、楮の屑ももらって、ここの女性のみなさんが手作りの和紙を作ってそれに絵を描いたり、ブックカバーを作ったりで、町のバザーで売るというふうなこともやっています。
作品作りではないですが、外が広いですからゴーヤの棚を作って日除けを作ったり、花を作ったりそういうのも一緒にやってます。
何か生活を楽しむためのネタが欲しいということで、サラリーマンを辞めた後、どういうことで楽しむかっていう時に一つ絵をやってみようということで50の頃からスタートしたんです、みなさんここで生活を楽しんでいると、大いにエンジョイしてるんです。
若い芸術家さんの姿を横で見ながら、それを心から応援しつつ、楽しんでます。
–丹羽千賀子
自分が今までしたことのないものに絵の中で出会えたらいいなと思っています。
絵を描く時っていつも自分を拡張したいっていう気持ちがあるじゃないですか、拡張した自分をどっかで見てみたいみたいなところがあって、既に使い古されたものであっても、自分にとっては新しいっていうそこの喜び、そこに会いたくて、30年以上やっています。
–福嶋千恵子
絵を描くのがすごい好きですね、あと色が好きで、その2点でやっているかな。好きな色を追い求めて。
私もそんなに長くはやってなくて、光龍会に入って20年くらい?この中では一番短い(笑)。
-坂本 保子
今回は抽象にチャレンジしています。これから何描こうかなって今模索中で、とりあえず何か抽象画を描こうとしているんですけど、どうしたらいいか。下地だけでもう作品みたいだからこのまんまにしとこうかなって。
ここへ来て、週2回こういう時間があるってすごくいいですよ。私はほとんどお茶飲みとおしゃべりと(笑)
-渋谷 知恵
今までは大体静物画とかが多かったんですけど、何となく水門が魅力があったのでちょっと描いてみようと思って、今取り組んでいます。
絵は始めて30年。ボケ防止で始めたようなものですね。子育てが終わって何かしてみようかなって思った時に昔から好きだった絵をやってみようと思って、町でやってる絵画教室に入れていただきました。ここの教室もみなさんで描きましょうっていうので手を挙げて入れていただきました。
-佐野 栄美子
小さい時から絵描くことが一番好きだったし、ほかに絵より好きなものってそんなにないので、子どもの手が離れたらもう一度絵描きたいなって思っていました。だから描いてる時は苦痛じゃないです、すんごく楽しいかって言われると……(笑)。生活の一部みたいな感じですね。
─矢野 佑貴
今、東京藝術大学油画専攻の技法材料研究室の博士課程です。
このスタジオは、学部の2年から利用しています。だから5、6年いるのかな。藝大の制作環境が狭かったので、非常勤の講師で来られていた代表の正木さんに紹介してもらって。制作モードに入ると、ほとんどここにいるっていうのが多くなりますね。
最近だと、イメージの循環みたいなのをテーマに描いてます。物語とか神話とか昔話みたいなところから連想とかを膨らませて行って、最終的なゴールは分からないけど、イメージとイメージを連結させて行って。
これは、古事記に出てくる海幸彦と山幸彦とか、浦島太郎的な物語をテーマに描いてます。最終的に竜宮に行ったこのカプセルが地球に帰って来て、そこから生命の元みたいなDNAからアメーバみたいな新しい生命が生まれる、みたいな絵です。
自分が大学生になったときに2011年だったのでちょうど震災の後とかだったんで、結構価値観が変わって自然ってやばいなっていう感じに思って制作してきて、今は生命の発生条件とか起源みたいなのに興味持ってる感じです。
絵画は一番自分の思ってることを伝えられるかなと思っています。言語化できなかったり、よくわかんないような感じを絵画で視覚化できてコミュニケーションが取れたらいいのかなというふうに思って描いてます。
一番最初に絵描きたいなと思ったのは中学校くらい。絵が一番自分が考えていることとかをリアルに表現できるメディアだなと思ったので。
これしかやることないしっていう感じ(笑)。自分がずっと考えているテーマを突き詰めて深めていけたらいいなと思っています。
─椎葉 聡子
作品は主にフレスコ技法を使って作っています。年間を通して、幼稚園とカルチャー教室で教えていて、季節によっては夏期講習で高校生にフレスコを教えたり、隔年で自分が出身の東京藝術大学壁画研究室でグラフィートというフレスコの応用技法を教えてます。
実家が熊本市の美観地区になっている古い街並みで、夕方、家の壁、漆喰で塗られた家の壁は真っ白じゃなくて、有色地の土系の顔料を混ぜて、クリーム色に塗ってあったんですけど、そういうところに夕日が当たるのが綺麗だなと思って育ちました。それでなんとなく学部卒業制作で、いきなりイタリアに旅行に行って、フレスコやろうと思い、4年生の卒業制作で初めてやったんです。いきなり2m×3mの壁に一気に壁を塗るっていうところから私のフレスコ体験が始まったのですが、垂直な壁に漆喰を塗るっていうのがすごく面白くて、先生からも上手だねって褒められて(笑)、今に至るって感じです。
去年の春と一昨年の春、熊本の震災で古民家が壊れたところにグラフィート技法で作った作品です。技法は外壁用の技法で、ヨーロッパとかだとチェコ、ドイツ、イタリアとか中世、1600年代~1700年代くらいに主に使われた技法です。デザインを私が考えて、パーツも私と壁画研究室の学生さんで考えて、左官屋さんに仕上げてもらったんですね。枠の厚みとか、装飾、ちょっと切り込み入れるとかも左官屋さんと一緒にコラボで考えました。日本の伝統的なこての技法も用いて。左官の材料も地方性があって、その土地土地で採れる石灰とか砂とかが微妙に違うので、そういう地方性を活かした感じで技術はあるのに活かす場所がない、という左官職人さんと一緒に壁画作品作りをやっていきたい。左官の技術自体がかなり廃れて来ているので、なんとかもうちょっと普及させたいと思っています。
このスタジオには私が興味のある日本画専門の先生がいたり、畑で楮を育てて和紙作りやってるっていうのはすごく興味があって。割と日本のデザインっていうのにも興味を持ち始めたので、古民家の外壁に装飾をやるときに和風の装飾のデザインを考えたりとか続けていきたいなと思ってます。
いかんせんフレスコよりもモザイクの方が耐久性があるので需要があって、フレスコ画は今はなかなか少ない需要になりつつも、研究室を出た学生さんは、研究室にいる時からクオリティ高い作品を作ってるので、そういう勉強をした後輩たちの能力とか作品とか活かせる場所作りもやっていきたいなと思っています。
─塩出 麻美
普段、私の場合は意識してアトリエの中にいるようにしています。ずっと描いている訳ではなくても、ここでぼーっとしている時間を意識してとっていて、こうだなって思った時に描くという感じにしているので、1日のかなり長い時間ここにいます。
生活と制作のバランスをとるのは難しくて、集中してのめりこんでしまったその次の日はあまり喋れなくなったり、日常生活のちょっとしたやりとりが難しくなってしまうので、場所の切り替えは重要です。自宅に広い場所があって制作しやすい環境があったとしても、アトリエという場所を持っていることはすごく大きいと思います。
私は平面を扱っています。
1週間くらい前に、『存在すること』が怖くて夜中にとび起きた日があって……そのことを突き詰めると深みにはまってしまって日常生活を送れなくなるようなよく分からない危機感や不安みたいなものを感じたんです。『いつかは死ぬんだな』と思うことが逆に救いになるような、そんなことを感じる体験をしました。
実はたぶんみんな、存在してることがすごく怖い、というのを誤魔化したり何とか折り合いをつけながら生きてるという気がしているのですが、私はその存在についての認識を喜びに転換する方法を提示する、ということを目標に制作しています。
私の制作方法は二次元の平面なんですけど、ちょっと凹凸を作ることを無理やり平面に「圧縮」することで逆に空間性と存在感を出して、二次元なんだけれど入り込めるような世界を作りたいって思って制作しています。
例えば ゴッホの絵などはあえて絵の具のマチエールを盛っていると思うんですけど、それをもっと大きなかたちで拡大してできないかなってことを考え、麻の布を拡大するようなキャンバスをつくりたくて、今実験をしています。
私が最近すごく思うのは、消費していることが当たり前の社会になってきているのに、それすら忘れられているというか、それすら意識すらしないように生きていると感じていて……結局何かに熱中して気持ちよく過ごしてしまっていても、消費してしまうともう面白くないって思ってしまうようなものがすごく多くて。皆、次はこれにはまろう、って感じでどうにかこうにか死ぬまで転々とつないでいってる感じがしてしまう。誤魔化しながらも生きていけるけれど、大人は皆何かしらもやもやを感じている。子どもは一瞬が永遠って感じられる能力が強いと思うんですけど、大人はもうある時期で自分は楽しいって思えないってわかった上で一定時間を消費している気がすごい気がしていて。そしてその一員として私もいるのかなと思っていて。本当は大人最高じゃないですか。だから作品は、特に大人に見て欲しいですね。
今は絵の具で盛り上げる絵を描いていて、自分では「つみき絵画」って読んでいます。ちょっと斜めにしたい。平面に流れたくないけれど、絵の具だから上にはなかなかいってくれないんですよね。ひとつの山を作る時にすごく時間がかかってしまって。版画みたいな一瞬さが欲しいと思っていて、描くスピードと、見たり体験するスピードの差をどうにかしないなーと葛藤しています。
ARTONE Art Studio
(アートネアートスタジオ)
2007年、2009年に取手アートプロジェクトが主催の利根町布川小学校を利用した展示イベントで集まったアーティストの中から活動拠点を模索していた芸大出身者有志により2010年に旧文間中学校の廃校跡の建物を町から借りて設立。本年で創立10年をむかえる。現在、油画、日本画、彫刻、インスタレーション、壁画、など様々なジャンルのアーティスト約20名が活動を行なっている。 また、スタジオの敷地内では文間楮プロジェクトとして、楮の木を栽培し、その楮を利用した和紙作りも行われている。
https://ja-jp.facebook.com/artoneartstudio/
この記事に登場したメンバー
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正木 浩司
絵画
作家経歴
1972日本に生まれる
1998 東京藝術大学 美術学部油画専攻卒業
2000 同大学大学院修士課程 壁画 修了
2000〜2003 前田屋外美術 デザイン部 原型室勤務
2003~2007 東京藝術大学 美術学部共通工房 石材工房 非常勤講師
2010〜2013 東京藝術大学 美術学部油画専攻 教育研究助手
2013〜2014 東京藝術大学 美術学部油画専攻 非常勤講師
2014〜2015 芸大アートヴィレッジ レジデンスアーティストに選抜
現在 文化学院大学造形学部絵画科 非常勤講師 , 鎌倉女子大学図画工作 非常勤講師
個展、グループ展の活動の他、絵画教室で講師を勤める
ARTONE ART STUDIO 代表
賞歴 1999年 久米賞 1998年 O氏記念賞 -
中村 寿生
絵画, アートプロジェクト, ワークショップ(子ども), 施工(リノベーション、内装、什器等), 農業
中村寿生(なかむら としお)1969年長野県生まれ。東京藝術大学日本画卒。2000年より茨城県在住。古民家の魅力に惹きつけられ、古民家の移築、改築、活用などの活動を始める。2004年利根町に移住し江戸期の建物に暮らす。2008年職を失い、家族が飢え死にしないようにと田んぼを始める。2010年アートネ・アートスタジオに参加。和紙の原料の楮(こうぞ)の栽培活動を始める。和紙をつかった室内空間を提案・施工。上野寛永寺「葵の間」障壁復元など手がける。足利古建築アートプロジェクト「和紙でくるむ家」、日光二荒山神社天井画・干支絵馬制作。個展・グループ展・ワークショップなど。2015年〜文星芸術大学准教授。
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織田 茂雄
絵画
絵を描くにあたって心がけていること
変化を求める
自由な発想
動きを大切に
腕、肩を使う
一筆を大切に
他人の絵を見る -
1983年 千葉県生まれ
2010年 東京芸術大学油画大学院修了
2006年 GEISAI#9金賞、hiromi yoshii賞受賞
2008年 モスクワビエンナーレ参加
2013年 DKNY artworks参加
主な個展
2006年 [more than paradise] magical art room, 六本木
2007年 [Project N] 東京オペラシティーアートギャラリー
2010年 [soichi yamaguchi] Gallery J chen,台北
2011年 [The way you look] madhouse art gallery, 香港
2017年 [リストグループ×拝借景] リストグループ東京本部 東京
2017年 [The patterns] SEZON ART GALLERY, 東京
2018年 [dimensions] EUKARYOTE, 東京
2020年 [The Paint of Mount Fuji] EUKARYOTE, 東京
2020年 [おはなのえのえ -Paintings of Painted Flowers-] MARUEIDO JAPAN, 東京
など、海外アートフェアなど参加
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塩出 麻美
絵画, インスタレーション, パフォーマンス
塩出麻美・イデアさみ・シオデ/イデ名義で活動。 油彩画を中心に、絵画における平面性の探求を現在の目線で語る「存在の点滅」作品を展開。 他、作家本人の存在を問うパフォーマンス、空間表現など。近年の展示に、2016 phase transition – existence of on and off /Zainul Gallery-1(バングラデシュ)、2017 存在の点滅・つながりの膜-シオデノミ3(上野)、2018 東京アートフェア・スイッチルーム( 有楽町)、2019 中之条ビエンナーレ(群馬)
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椎葉 聡子
絵画, 施工(リノベーション、内装、什器等),壁画
椎葉聡子(しいば さとこ)
1967年生まれ 熊本出身
東京藝術大学大学院壁画研究室修了後イタリアにてユニオン造形文化財団在外研修生としてフレスコ技法とその応用技法を学ぶ
現在、非常勤講師として大学でフレスコ技法等の授業を行う他、外壁用のフレスコ技法による施工を研究している
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矢野 佑貴
絵画
矢野佑貴 東京藝術大学大学院美術研究科 美術専攻 油画研究領域 油画技法・材料研究室博士後期課程 在学 アートネアートスタジオにて、東京藝術大学 学部2年生から制作を行なっている。
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四宮 義俊
絵画, 映像, 撮影・編集(映像)
四宮義俊(しのみや・よしとし)
1980 年生まれ。美術家・日本画家・アニメーション作家。
日本画家として絵画を軸に、立体、 映像など多彩な創作活動を行う。
その活躍の場も個展をはじめ、CM や広告、企業商品など各メディアへと広がる。アニメーションでの代表作に『言の葉の庭』(ポスターイラスト)、『君の名は。』(回想シーン演出)、渋谷スクランブル交差点での四面連動ビジョン放映で話題になった『トキノ交差』など。また、監督を務めた『ポカリスエ ット・アニメ CM』(インドネシア)では 1500 万 PV で YouTube インドネシア当月第1位を獲得。現地アニメイベントへのゲスト招聘など、近年ではアジアでの評価も高まる。
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アトリエポレポレ
絵画
利根町のアマチュア絵画愛好家がスタジオの一室を共同アトリエとして借用し、芸術家の皆さんと場を共にしながら楽しく活動しています。
メンバー:森谷栄之進、渋谷知恵、佐野栄美子、丹羽千賀子、福嶋千恵子、坂本保子 -
神農 知世
絵画,現代美術
神農 知世(しんのう ともよ)
セツ・モードセミナー卒
2010 個展「ambivalence」(森岡書店・東京)
2011 「共鳴するヴィジョン」(Breakステーションギャラリー・東京)
2012 個展「round」(OMONMA TENT・茨城)
2019 展示(高齢者住宅・千葉)
他 -
中野 公吾
デザイン,建築,木工
中野 公吾 (なかの こうご)
デザイナー・一級建築士
1990 早稲田大学理工学部建築学科卒業
2001 東京藝術大学美術学部デザイン科卒業
2003 東京藝術大学大学院美術研究家デザイン専攻修了2005 文星芸術大学専任講師
2011 文星芸術大学准教授 -
羽川 幸一
映像,絵画,テンペラ
羽川 幸一(はがわ こういち)
東京都出身
1967年生まれ
美術大学卒業後は油彩、テンペラ、水彩画を中心に映像作品も作っています。