ART LIVES TORIDE ここで芸術が生まれる。

身体ゲンゴロウ
菅井 啓汰 武田 朋也

菅井
身体ゲンゴロウは劇団です。僕は作と演出、とりまとめて作品の全責任を負う役割をしています。

中学から映像やアニメーションをつくっていました。子どものころからよく見ていたので、自然とつくろうと思ったんです。そのまま大学で芸術をやるっていうのは自然な流れで。映像をつくる人になろうと思っていたものの、ただ映像をつくるだけでは物足りなくなってきて。映像を、映像じゃないかたちでやろうと思ったタイミングで、舞台というか、空間をつくるようなことに興味が出てきたんです。

大学の授業で演劇をやる機会が増えて、本格的に劇団をつくるに至りました。今は大学とこの場所を使って、稽古場に入る前の読み合わせをしたり、舞台美術をつくったり。劇団ベースで活用しつつ、それぞれの倉庫みたいなかたちで使っています。

武田
僕はもともと音楽がやりたかったんです。浪人している時期に、自分がやりたいのは純粋な音楽なのか、音楽のからむなにかなのか、よくわからなくなってきて。そんなとき、藝大の先端芸術表現科があることを知りました。美術やってもいいし、音楽やってもいい。僕はメディアっていう言い方をするんですけど、なにをつくるかは、ここで探していこうと思っています。

演劇に足を踏み入れたのは、菅井に舞台の音響を頼まれたのがきっかけです。菅井のことは、受験のときに一緒だったのをすごく覚えていて。なんか、彼の歩き方とか、関節の動かし方が独特で。それがすごく目立っていたんですよね。

一緒にやるようになって、いつのまにか演者もやるようになって。なんだか楽しくて、ハマってしまったというか。演劇って、好きなことだったり物語だったり、そういうものを伝えたり取り入れる媒体として良いメディアだっていうのは、彼とやっていくうちに段々とわかってきました。今は音響をやったり、舞台美術をつくったり、演者をしたり。これからもしばらくは演劇をやりたいと思っています。

菅井
言語化するのが難しいんですが、やっていることには「身体ゲンゴロウ色」みたいなものがあって。曲芸をする、サーカスみたいな、なんだろうな。舞台の上で椅子が台車になったりキャリーバッグになるみたいに、ものの見立てを多用するとか。全体的にブラックなものが多いんですよね。登場人物が全員不幸になるとか。

定期的な公演日を決めて、ゲンゴロウのメンバーや関わってくれる役者さんを集めて、お互いを知るワークショップをするところから始めています。そこで演者の個性が見えてくるので、このメンツならこういう舞台だねって、企画を動かしていくんです。これをやりたいっていうよりも、割と人ありきで。たとえば武田だったら中学生っぽいね、とか。そこにいる人が自然に見える役をつくるんです。

僕は演出という役割なので、90分という割と長い時間のなかで観る人をいかに飽きさせないかに気を使っていますかね。演劇ってお客さんのチケット代が発生するものなので、その時間を楽しんでもらいたい。俯瞰して考えて、いらないなと思ったら本番直前でシーンごとナシにすることもあります。

一方で、理解しやすい優しい誘導はしないってことも気にかけていて。「90分おもしろかったけど、よくわからないまま終わった」って言われることがあるんですけど。椅子がいろいろなモチーフに見えるように、半分の人が泣いて、半分の人が笑ってるみたいなものが理想的というか、そこに豊かさがあると思っていて。これはこういう話ですって、提示しすぎないこと。カオスはカオスのままにすることは、大事にしています。

武田
僕が心がけているのは、目の前に集中するってことに限るかもしれません。菅井は終盤になって、演出を変えてくるんですよ。ここはカットとか、ここ追加とか。そこを僕が考えてもしょうがないので、とりあえず稽古場に入って、彼が言ったことに集中して完成度を上げる。それを繰り返すことでしか、演者1人が演劇作品のクオリティを上げるためにできることってないのかなって、個人的には思ってます。

やってる最中はやっぱりしんどいし、もう二度とやらないって思うんですけどね。公演を終えたときの達成感と開放感で、またやりたいって思っちゃうんです。もう半分、呪いのようなものだと思います。

菅井
ここで活動するようになってから、近所の方に野菜をもらったりするんですよ。新鮮で、本当においしくて。僕らの名前も覚えてもらってます。取手でも演劇、やってみたいですよね。この場所を舞台にしてっていうのも、ありなのかもしれません。


身体ゲンゴロウ