伊阪 柊
普段は火山や活断層、三角州など、地質学的モチーフを対象にドキュメンタリー映像を制作しています。近年はドキュメント作成を行う傍ら、ヴァーチャルな空間でのドキュメント提示の方法も探っています。フィールドワークを行った結果だけでなく、これからフィールドワークを行う場合も視野に入れてドキュメントの収集と配置を行っています。
取手は東京藝術大学先端芸術表現科の本拠地であることから、学部時代に住んでいました。その広大な利根川水系は映画制作を実践的に学ぶ上で魅力的なロケ地であり、また単に視覚的に魅力的であるだけでなく、その深甚な歴史的、地理的コンテキストは、フィクション映画制作からドキュメンタリーへの興味を掻き立てたとも言えます。
普段は映像編集の仕事を受ける傍ら、そこで得た技術的な知見を利用して自身の制作を行っています。ただし自身の制作的知見が商業的な領域に知見を与えることはまずありません。それは一方通行です。ただそうであることによって、自身の制作だけでは触れることがあまりない時代的な潮流などに触れ、自身の制作にも新鮮な風を吹き込ませることを可能にします。
制作のきっかけは自然科学、エネルギー科学への興味と、その興味のレイヤーの特色、そして自身の能力的な限界といったいくつかの要因から、自然科学と芸術の接点であるアースワークに関心を持ちました。中でも実地的なアースワークと、それを情報化し流通させることができる映像の、両者の質の差異は深く、その深淵に驚き、時に翻弄される際に、私にとっての制作が開始されます。この差異は映像技術が新しく、また高性能になればなるほど埋まるものもあれば、より拡がっていく側面もあります。この差異とは常に向き合っていきたいと考えています。
私が制作する映像は、時に不安や危険を示唆することがあります。ただしそこでは、ある対象に向けられた期待感と同時に発生する不安や焦燥感、はたまた倦怠感などにも着目し、制作者および鑑賞者にフィードバックを、より安全な方法で行うことができればと考えています。
制作は社会の出来事と常に隣り合わせであると考えています。ある技術が開発されると、そこにはそれ相応のリスクが生じます。その双方の側面を眼差し、一定の批判的態度を取る場として制作のフィールドはあると考えています。また、自分にとっては対象のポジティブな側面、ネガティブな側面双方ともより広く物事を知ることにつながるきっかけになると考えています。
社会に内在する危険を対象にするという意味では、ウイルスの蔓延という出来事はまさに注目すべき事例だったと思います。しかしながらこれまでは映像という視覚優位なメディアを用いていたことから、文字通り小さくて見えない対象に注目することがあまりありませんでした。
今回の新型コロナウイルスの世界的蔓延は、空気そのものへの不安という自身にとって親近感と疎遠感を横断する稀有な感覚に注目することができたと思います。自分にとってのテーマは変わらないものの、対象としていた危険な出来事が、遠くから身近な所に来てしまうという出来事が起こったことで、自分が用いる映像の質そのものも大きく変わることになりました。
国内外問わず、様々な展覧会やワークショップの記録撮影、またそれだけでなく映像を用いた展示などを行うことができればと考えています。またアートを通して、芸大や井野団地の新たな動き、またあるいは利根川水系との触れ合いなど、今後の企画に参加することで関わることができればと思います。
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外環境と内環境、それら周辺で起こる現象や人の営みをリサーチしながら、トランスサイエンスとも言える領野で作品を制作し、また制作方法を構築し、実践する。環境における普段意識しないほどに当たり前に存在したり、または大きすぎて見えない、あるいは端的に視覚では捉えられない領域に関心を持ち、そこへどれだけ多弁な想像力を注入することができるかを映像メディアを用いて考えながら、映像特有の説得力を模索している。近年の展覧会に、「Synthetic Mediart 2019」(2019年, EcoARK, 台北)、個展「Periodic Lull」(2020年, Token Art Center, 東京)。