ART LIVES TORIDE ここで芸術が生まれる。

岡﨑 未樹

小さいころから絵を描くのが好きで、アートに携わることをしていくんだろうと思っていました。でも美術系の高校に入ったら、周りがどんどん上達していくなかで、自分はなにを描きたいのかわからなくなってしまって。

そんなとき、岡山で一緒に住んでいたおじいちゃんが、瀬戸内国際芸術祭に行こうって誘ってくれました。おじいちゃんからすると、孫と2人でお出かけしたいなってくらいのノリだったと思うんですけどね。私はそこで、運営やサポートする側という関わり方があること、作家になることだけが美術やアートの仕事ではないことを知って。なんだか希望が見えたんです。

アートプロジェクトの本を読んでみたら、高校生の私にはなんのことやら、内容がさっぱりわからなくて。唯一、藤浩志さんのインタビューがすっと入ってきました。それで藤さんが教授をしていること、地元の岡山から一番遠い美大に行ってみたかったこともあって、秋田公立美術大学に入りました。

実際に行ってみたら、なんか、解き放たれた感覚があって。アートプロジェクトにがっつり関わるというよりも、自分の制作とサークルが楽しくなってしまって。3年生の前期までは絵画作品をつくりながら、地域の方と一緒にイベントを開催するサークルで活動していました。50メートルの流しそうめんをしてみるとか、地域の方に呼びかけてお誕生日をお祝いされたい人を集めて祝うとか。秋田での時間は、純粋に楽しかったですね。

大学では、自分が興味あることをどんどん掘っていきなさいって言われていて、古墳について調べ始めたんです。権力を示すためにつくられた古墳が、今は人が集う憩いの場になっていたりする。当初の意思は関係なくその場所が扱われていることが、なんとなく希望に感じたんですね。そこからお墓に関する作品をつくりたいと思って、まずは絵に描きました。だけど、私のやりたいことがぜんぜん伝わらなくて。私の絵の限界みたいなものを感じました。

屈葬という足を折りたたんだ状態で埋まる埋葬方法があることを知ったとき、生まれる前の胎児と同じ姿勢で死ぬという部分にすごく興味を持って。穴を掘って、自分自身が埋まるという様子を映像で記録しました。映像作品をつくるというよりは、埋まりたい、体験したい。それを記録しておきたいという感覚で。本当に埋まっている様子だけを流しているものが作品になりました。

その人にとって大切だったけれどなくなってしまったものについて話を聞いて、一緒に探しに行くということを映像にしたり。大切だけど忘れてしまいそうな思い出を募集して、私が忘れないようにおまじないをかけるっていうことを作品にしてみていて。

私は、消えてしまうとか、いなくなってしまうということに興味があるんだと思います。自分は死ぬんだって、明確に気がついた時期があって。私が死ぬっていうことは周りも死ぬ。そのことに、すごく絶望した記憶があるんです。お墓とか看取りとか、そういう寂しさや悲しさをどう昇華していくのか。語ってもらうとか、一緒に見つけにいくとか、お手紙を描いてもらうとか。お葬式のような儀式というか、そういうプロセスを一緒に考えてみたいんだと思います。

映像にしたり、文章を書いたり、朗読をすることが多いんですが、正直、自分が出演するのはすごく恥ずかしいんです。だけど、自分がやらざるを得ない。直接聞いたり体感しながら、知りたい。体感したい。自分を隠したいと思いつつ、私が出ないといけないようなことばかりを考えてしまっているなって思います。

今は大学院を休学して、秋田のサークル時代に出会った方の取材を続けています。仲良くしてもらっていたご夫婦で、旦那さんが亡くなられて。奥さんがしばらく辛そうだったんですが、ある日突然リクガメを飼いだしたんです。なんか、リクガメがその人の時間を動かしはじめたように見えていて。

どういう形になるかまだわからないけれど、これは本当にやらなくちゃいけないって思っちゃって。話を聞けば聞くほど、引き返しちゃいけないことのような気がしているんです。

茨城にいるときは、取手アートプロジェクトのインターンもしています。活動を通してたくさんの人と会って、関わることができるのが楽しいですね。私は、人と出会うことをしていかないと、つくるっていうことをしなくなるかもしれないと思っていて。初見は緊張しちゃうんですけど、いろいろな人と会って、話を聞いていきたいなって思っています。