ART LIVES TORIDE ここで芸術が生まれる。

SOBASUTA合同会社
傍嶋 賢

取手市には大学院の時から住んでいます。もともとは東京藝術大学の油画専攻で東京に住んでいましたが、進学した大学院の壁画専攻が取手市なので引っ越してきました。
学生時代からまちづくりに関連したアートプロジェクトを取手市内で実施していました。それでテレビとかメディアに出ると街の人たちに喜んでいただけて、多くのつながりができました。取手市で初めに構えたアトリエも、駅前のビルのオーナーが「君おもしろいことやってるね。ビル空いてるから家賃タダで入っていいよ」と言ってくれました。
芸術家が街と関わり街を良くしたいという思いで活動すると活動拠点の情報や恩恵など受けやすくなります。私の場合、芸術活動以外に地域に関連するイベントによく参加していました。その時に出会った人たちと今でも仲良くさせていただいています。
渋谷区でも街の落書き消す活動をしています。まだ3年くらいしか行っていないですけど渋谷区の人々と新しい繋がりが生まれています。

芸術は特別ではないと思いますが、社会とつながるのは難しい。もともと厳しい業界なわけだから普通の人より相当しっかり考えないといけません。
そのためには相互理解が必要だと思います。芸術家から社会に歩み寄らない限り、何にも変わらない。社会が守ってくれるものでないし、いらなかったら淘汰される。徹底して必要とされる存在になるための努力をここでしておかないと、後から来る子たちが苦労する。だから、皆ができないって断る依頼もなんでもやります。

大学院が中村政人さんの研究室の第一期生で、中村先生に会ってから人生変わりました。
それまでは『藝大生』ってだけで生きていけると思っていて……中村先生に「お前そのままだとのたれ死ぬぞ。」って言われたのが印象的でした。
まずパソコンを買えとか、パワポでプレゼンしてみろとか、PDFでなんか資料出せとか、学生のうちに助成金を取れ、リサーチしろ、団体立ち上げろとか。制作できることなんて当たり前なんだからその裏の企画とか運営をしっかりできないと……と。超厳しかったんです。
今生きているノウハウを全て叩き込まれました。鍛えられた。先生に会ったのは大きかったです。

このまえコロナ期間中に『デリバリーアート』を実施しました。バイクでアートを運ぶっていう宅配サービス。過去作品がオフィスにあったって仕方ないなって作品全部載せてWEBサイト作って。
コロナ禍で仕事は減りましたが、そもそも環境が変わることがネガティブとは思わない。むしろその環境を考えて行動や制作をすることが大事だと思うので、その都度考える。
何か新しい提案ができるといいなと思っています。
実はデリバリーアートは学生の時もやっていました。
美術館やギャラリーで完結すると拡張性が無いと感じていました。芸術家の拡張性、自分が活動する上でどこまで社会に入り込めるかっていうのが重要なんだと思います。図像として絵を描くけど、お金の面も含めてどうやって生きるかって表現を考えています。

目標があるんですよ。50代は海外。ニューヨーク、ロンドン、パリに拠点を作りたいんです。60代は宇宙って思ってるんですよ(笑)。ハードルは大きければ大きいほど良いと思っていて想像しないと実現もできないと思っています。最後に『ケンチャンマン(自画像)』を描いて絶筆。これが私の人生の楽しみですね。

小さい頃からもともと絵は好きで、私と同じ東京藝術大学の油画科出身の父親や兄弟の影響もあり絵を描くことが家族の中で自然でした。傍嶋家の家訓じゃないですけど、人と違わないといけないんです。
人と違うって本当は正しいと思っています。人と『違う』って思ったほうが争いってないんですよね。『同じだ』って思うと同じことを強要することになってしまいます。宗教だって国だって。
理解できないことを理解することで世の中平和になる。それがアートの可能性だと思います。『わからない』を否定するのではなく、楽しめる世界になると良いですね。