根本 駿介
祖母の同級生にピアノの先生がいて、母も叔父も、僕も小さいころから習っていました。家族もみんな音楽が好きで。祖母が取手の駅前でバーをやっていて、昔は定期的にジャズのライブをやってたんです。
小学3年生くらいのときから祖母がまちおこしのNPOをつくって、いろいろ活動をはじめたんですね。その向かいのビルに、藝大の学生たちが活動する団体があったんです。僕もよく遊んでもらって、関わることが多くなっていきました。そこが、この道に進む最初の出会いというか。そこからアートプロジェクトみたいなものに、否応無しに巻き込まれていったんです。
漠然と、藝大に行くんだろうなと思っていて。教えてもらった音楽環境創造科に進むことにしました。音楽だけじゃなくて、いろんなことを学べるって聞いて、いいなって。自分自身は実際に音楽をつくる側というよりは、それをどこに届けるか、どういうものを取り入れたらおもしろいかを考える側になりたいと思ったんです。
1年目は作曲、2年目はメディアアートのゼミに入って、その後、ヴェイパーウェイヴという音楽ジャンルの研究をしました。80年代のポップスを加工してつくる音楽ジャンルで、すごくおもしろいんですよ。大量消費社会に対する批判でありつつ、そこにノスタルジーを感じる、ポップスに対する相反する想いを消化するためにつくられた音楽ジャンルです。
今は大学院で、ヴェイパーウェイヴというジャンルがどう形成されたかを社会学的に研究しています。ヴェイパーウェイヴは、誰がはじめたか定かではないんです。これまでのジャンルの成り立ちとは違って、インターネットのなかで「これは音楽ジャンルだ」って言った人がいて、みんなが認識していくなかで形づくられたもので。インターネットの世界を含んだジャンル研究ってまだやっている人は少ないし、もっと深めてみようと思っています。
研究を生業にしようというよりは、純粋な好奇心ですね。あとは僕、音楽についてしゃべるのが好きなんですよ。そのために続けているっていうのも、少しはあるのかもしれません。
研究とは別に、大学1年のときからの仲間と3人で会社をやっているんです。就職するってどうなんだろうって話しているうちに、このメンバーでやってみようかってことになって。そこから、この4人でできることを考えました。
僕はカメラが好きだったり、ほかのメンバーはデザインができたり。それで、今は映像メインの制作会社をはじめています。生きていくためのお金をつくりつつ、僕は研究とかバンドとか、それぞれにやりたいことを続けられる生活がいいなって思っているんです。
やっているのはMVとか、音楽系の映像の仕事が多くて。先週は四国と中国に行って撮影してきました。照明も演出も自分たちで。音周りのことも、一通り全部できるっていうのは強さだと思っています。これからはライブ配信も仕事にしていきたくて、今、環境を整えているところです。
最近、祖父母の写真を撮ったんですよ。それがすごく楽しくて。最近になって、人を撮るのが好きなんです。地元の風景というか、そういうものを撮ることが増えたんですよ。なんでだろうな。劇的な写真じゃなくても、いつでもあるもの。いつでもあるけど、今は今だけだっていうものを切り取る意識をしています。
写真と映像と、研究とバンドと。やっていることは割とバラバラですが、どうしたらこれを続けていけるのか、これからも探ってみたいと思っています。
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1997年茨城県生まれ。クラブミュージック、ロック、ジャズ、ファンクなどに影響を受け、電子楽器、バンドサウンドを用いた作曲を行う。またプログラミングを用いた、作曲や音楽と映像のインタラクティブ作品の制作も手がける。ギタリストとして、「かさねぎリストバンド」などバンド活動も行う。