ART LIVES TORIDE ここで芸術が生まれる。

小津 航

母方のおじいちゃんが印鑑をつくる篆刻家だったり、親戚に絵描きがいたり。母も日本画が好きで、物心つくころから美術展に連れて行ってもらうような環境で育ちました。船に乗る仕事に憧れていた時期もあったんですが、美術高校に行って、東京藝大に入って、今も絵を描いています。

絵を描きはじめた頃は写実絵画をずっとやっていていたんです。描けば描くほど目の前のものに近づいていくのが楽しかった。だけど、目の前のものをその通りに描くから写実なのであって、目の前のものより良くなったり悪くなったりすると、それは写実じゃない。根源的に、現実を超えてはいけないっていうルールがあるように考えていて。

その矛盾をずっと抱えていたところから振り切れて。現実の物事を頼りにするけれど、絵の中でもっと自由に描けないかなっていうところへシフトして、今のスタイルになっていった感じですね。

いろんな作家さんの考え方があると思うんですが、僕はまんべんなく色を使いたいタイプで。赤、青、黄を入れて、1枚の絵で足りない色を減らしていきたいんですよ。形やモチーフというより、色味を大切にしたい作家です。

あとは描いているとき、僕の場合は「拭く」という作業が入ってきます。コントロールしきれない部分を、拭くという行為でつくってるんですけど。それがたまたまうまくいくこともあって。

最初は間違って絵の具が飛んでしまって、やってみたらおもしろかったんです。油絵具って本来は乗っけて足していくものなんですが、古い絵の具の使い方に、薄く伸ばすというものがあるんですよ。絵の具が透けて見えるくらいの描き方をすると、いろんな色の幅が出てくる。拭いて初めて出てくる表現があることに気がついてから、はまっちゃって。つい、拭きすぎちゃうこともあるんですけどね。

ここ数年は、日本美術史と西洋美術史について勉強しています。僕自身、画家と名乗ったものの、現代美術作家と言うにはなんだか抵抗があって。現代美術ってヨーロッパの文化から来ているものだと思っているので。ヨーロッパのものを日本で育ってきた僕がやっても、なんだか変な感じがするんですよね。

西洋の文化が流れ込んできた時代について学びながら、今の日本の美術と西洋美術をうまくつなげる立ち位置がつくれないかなと考えていて。描いているモチーフも、西洋美術史で意味があるものだったり、逆に日本美術史で意味があるモチーフだったりをつかっています。

いつか、こういうやつがいたんだって、日本美術史を盛り上げることができたらいいというか。自分がやっていることはヨーロッパの美術史のなかで語ることはできない。だったら自分が立てるくらいの土台はつくりたいと思って勉強しながら、描き続けています。

自分のことを絵描きだと名乗る恥ずかしさがある時期が長かったんです。今は絵を描いているって言えるようになって、1枚の絵に対して責任感を持てるようになったかなって思います。

取手には藝大に入ったときに初めて来ました。大学院に進んで、休学して世界を放浪する旅をしたあと戻ってきて、早8年って感じです。

作家になるって、作家を続けられる環境が目の前にあるかどうかがとても大切で。同期にも、描き続ける環境がないから辞めていった人もいます。自分自身も、このスタジオ航大という集合スタジオがなかったら、続けていられたかどうか。

周りに人がいるっていい影響しかなくて。直接作品が変わるというよりは、隣で木を削る音が心地よかったり、遅くまで作業している人を見て、俺もがんばらないとって思ったりとか。続けていく上で大切な環境がここにあるんだと思います。

作家とアトリエの関係性って、作品にもつながっていく気がしているんです。今はなるべく無機質な空間でやってみているけれど、今後、自分のアトリエがどうなっていくのか、作品がどう変わっていくのか自分でもわからない。本当はジャックダニエルの瓶が転がっているような、ハードボイルドな感じが自分の理想なんです。だけど、僕の絵からはその感じがしてこないので、そっちの方向じゃないのかもしれませんね。