ART LIVES TORIDE ここで芸術が生まれる。

オブレヒト音楽院
武澤 秀平

ここではフルートとチェロ、ヴァイオリンと古楽器の教室を開いています。夫婦でそれぞれ演奏家として活動しながら、僕がチェロとヴィオラ・ダ・ガンバという古楽器を。妻の泰子がフルートと、フラウト・トラヴェルソという古楽器を担当しています。教室には演奏家を目指している人もいれば、趣味として通っている人もいます。テレビでヴィオラ・ダ・ガンバのことを知って、習いたいという人も来てくれました。
生まれは柏市です。楽器を持って常磐線の通勤ラッシュに乗るのが大変でした。偶然家族の引越のタイミングが来たので、始発駅の取手を僕が提案したら取手への引越が実現しました。楽器を始めたきっかけは、僕が小学3年生のときに妹がヴァイオリンを始めて、その先生のコンサートを聴きに行ったんです。そこでチェロの音色に触れ、一目惚れをしました。すぐに自分から習いたいと親にお願いしました。
最初に通った教室で「将来はチェリストになりたい」と先生に伝えたら、ここにいちゃ駄目だと言われたんです。その教室は、楽譜を見ずに耳で覚えて演奏しましょうっていうところだったんですね。演奏家になるなら楽譜を自分で読んで表現しなければならないと言われたことは、今の僕の考え方につながっているところがあると思います。

チェロは長く師事してきましたが、独学でやってきた部分も多いですね。大学を卒業後すぐ新日本フィルハーモニー交響楽団に入りました。楽団を通して色々なところで弾かせて頂きましたが、クラシック業界って同調圧力みたいなものがあるというか。異端児は跳ね除けられてしまいがちなんです。僕も行き詰まってしまって、逃げるようにオランダに行きました。3年間留学し、2018年に帰国してからこの教室を開きました。

古楽と出会ったのは中学1年生のころ。「朝のバロック」というラジオ番組から流れてきた音楽を聴き感銘を受けました。それはイタリアのルネサンス期の声楽曲でした。チェロ弾きなのに、そのようなジャンルの作品ばかり聴いていました。そして古い、懐古的な音楽をやりたいなと思うようになりました。
東京藝術大学の2年生で初めてヴィオラ・ダ・ガンバに触れ、副科で習い始めました。チェロはバロック音楽の後期、つまり17世紀終わり頃から流行った楽器ですが、ガンバはバロック時代をさかのぼってルネサンス期から存在する楽器で、非常に幅広いレパートリーがあります。学ぶ物の多さから、途方もない世界が広がっていた。こんなものが待っていたのかっていう感じで、とにかくハマっていきましたね。

先生の言う通りに弾くことが正しいわけでも、誰かが弾いたものを真似て弾くのが正解なのでもなくて、自分から情報を取ろうとしないといけないんですよね。私達演奏家が音楽作品を研究演奏するということは作曲家の書いたものをどれだけ再現できるかっていう事が重要なんです。
たとえば弓が違えば、出せる音のキャラクターが違ってきます。ヴィオラ・ダ・ガンバはもとより、バロック時代や古典時代の弓のレプリカで演奏・研究しているうちに、一般的な演奏家よりも持っている楽器や弓の数が増えてしまって。研究材料だから仕方がないと、自分に言い聞かせています。作曲者が生きていた時代のスタイルで演奏することは特別なことではなく、基本中の基本だと思っています。

バロック時代のヴィオラ・ダ・ガンバの演奏家を題材にしたフランス映画『巡り合う朝』で主人公が小屋に籠もって、ろうそく1本の灯りを頼りに作曲しているシーンが印象的なんです。今の時代はどこに行っても音楽が流れていて、夜だって車や電車の音が聞こえるでしょう。だけどあの時代は騒音がない。きっと風の音や虫の声だけだったのでしょう。そんな環境で作曲をするって、どれだけ感性が研ぎ澄まされていたのかと思うんですよ。
たとえば1730年あたりはバロック時代の黄金期とも言えます。ベルサイユ宮殿が栄えて、ストラディヴァリウスがものすごい価値で作られ買われていた。それが100年後になると、ベートーヴェンの第9やベルリオーズの幻想交響曲の時代になった。あの時代は特に劇的な変化があったのです。自分の現代の感覚で楽譜を読み解くんじゃなくて、その曲がつくられた時代背景、その人がなにを考えて書き、誰に宛てて書いたものなのか等知った上で演奏したいと思っています。

オブレヒト音楽院