奥野 智萌
地元は京都です。高校2年生から3年生になる春休みに、気になる人に話を聞きに行くっていう現代文の宿題がありました。そこで、今日マチ子さんという漫画家にダメ元でメールしたら、東京まで来てくれるならって言ってもらえて。
ウェブに漫画を出していた方で、毎日見ていたんです。今日マチ子さんのことを調べていくうちに、藝大の先端芸術表現科出身だということがわかって。それが、ここを受けるきっかけになりました。
高校の授業では、美術じゃなくて書道を選択してたんですよね。美術は大学でやるだろうからって。なんだろう。けっこう前から自分のなかで、美術をやっていくってことは決まってた感じなんです。
周りに美術をやってる人がいなかったので、受験勉強も独学でした。予備校でも同じ学部に合格した実績はなかったので、自分から対策の計画を出しました。入試では自画像を描くことが多いと知って、毎週自画像を描いて過ごしていました。
京都にいたころは、身の回りにあるもので、家でできるものをつくっていました。ぐしゃぐしゃになった金閣寺のお札を拾ってみたりとか、盆栽や家紋をモチーフにしてみたりとか。外から見たら、京都っぽい感じだったのかなって思います。
大学に入ってからはそういう感じではなくなったというか。住んでいる場所に影響を受けているのかもしれませんね。できることのレパートリーも増えて、卒業制作ではプログラミングをやりました。
自分を含めた、身体みたいなことに興味があるっぽいんです。生きものを扱うことも多くて、このあいだはウミガメでした。私、14歳くらいから毎晩コルセットをつけないといけない生活をしているんですね。来年手術が決まったので、この生活もあと少しで。自分の生活にずっとあるものだったので、向き合う最後の機会かなと思って、一度漫画にしてみました。そしたらスラスラとこれが出てきて。
コルセットを外したとき、カニの身を抜くみたいな、ずるんっていうイメージがあって。だけど手足はそのままだから、カニっていうよりカメかって、自分の頭の中で納得するようなところがあったんです。これを自分のイメージみたいなのを具現化する上で、いっかい漫画に描き出して。
最終的にはウミガメの目の高さにカメラをつけて、カメの視点で海辺を歩くっていう映像を撮りました。はじめからこれをやろうと思っていたわけではなくて、まず漫画を描いてみて、カニだなって気持ちで描きはじめたらカメが出てきて。自分の手足をつけたカメをつくろうと思って。
絵だと自分の手足だということがわからないというか。実際にちゃんと型をとって、ちゃんと現実で融合させたいと思って。最後はカメの目線になってみる。いろいろなプロセスを踏んでみました。
カメのように漫画を描いてからつくることもあれば、先に立体でつくってみたものを漫画に描いてみることもあります。漫画にしたほうが動かしやすかったり、生きている前提で扱うことができるんです。
漫画はずっと描いてますね。小学生のときは、学習まんがを模写して勉強していました。漫画家になりたいと思ったことはないんですよ。自分の考えを整理する方法として、漫画を描くことが多いんです。
どこからこの発想になっているのか、自分でもよくわかってないんですけど。あることに対して、ある日急に「そういうことだったのか!こういうことなんじゃないか?」って思ったことをまず漫画にしてみます。説明するのは得意じゃないし、人に話しても、夢の話を聞くみたいに、とりあってもらえるようなことではなかったりするので。それが漫画とか、実際にものをつくるっていうアウトプットになっていく感じですかね。
今、大学に入って初めて絵を描いてるんです。漫画は自分が読むスピードに近い感覚で描くので、絵にとどまる時間が少ないんですけど、一枚絵になるとすごく時間がかかります。同じ画面に向き合うことを、もうちょっとやってみようと思っています。
将来の夢とか聞かれるとむずかしいですね。最終的には、地方に個人でやってる小さい博物館ってあるじゃないですか。そういうの、やりたいです。自分がつくったものでもいいし、集めたものを並べて。お土産を売って、老後を暮らしたいです。
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1998年京都府生まれ
東京藝術大学美術研究科先端芸術表現専攻在学中
指点字通訳者(2020年2月~)
漫画・手芸・電子工作などを用いて自分自身が事象の解釈と具現化を行い、鑑賞者へトランスレーションすることを試みる作品を制作している。
撮影:ryu maeda