ART LIVES TORIDE ここで芸術が生まれる。

藤田 クレア

東京藝大で非常勤のテクニカルインストラクターとして働いたり、展示のインストールの仕事をしたり、依頼をもらって什器をつくることもあります。肩書きを名乗るとすると、アーティスト。作品をつくるために、いろいろなことをやってる感じです。

高校のころはずっと、なにかを壊してはくっつけるっていうことを続けていました。食べたあとのみかんの皮を縫って作品にするとか、鉛筆の削りカスでまた鉛筆の形をつくるとか。そのころ北京に住んでいて。ちょうどオリンピックの時期だったこともあって、なにかにつけて町がガラッと変わっていくっていうのを見ていたんですよね。一回壊して再生するっていうことは、元の状態に戻るわけではなくて、新しいものにつくり直している。そのプロセスが私にとって重要だったんだと思います。

最近は、日常のささいな出来事や気づき、疑問を理解するために作品をつくっている感じです。なんでこうなるんだろうとか、その物や事、モチーフでなにができるだろうってことを考えています。

たとえば最近、鼓動がおかしくて、急に心臓がバクバクって動くことがあるんですよ。不安になると同時に、鼓動が鳴っているということは、これが止まれば死ぬんだっていうことに気付かされて。鼓動というものを可視化させることによって、なにかできるんじゃないかと思ったんです。それで、今つくっているのがこの作品なんですけど。

人の脈のリズムに合わせて、トントンってガラスを叩いていく。ガラスの下にはヒビが入ったコンクリートがあり、叩いているガラスもいずれ割れていくんだよっていうことを想起する作品です。この作品が壊れていく様が気になるし、壊れてどうなっていくかを知りたい。あとは、これを見た相手がなにを感じるだろうって。こういうものを世に出して、人に意見を聞いたりすることで、私自身もより理解できるっていうのがあるんじゃないかと思っています。

素材の組み合わせは感覚的に決まっていくんですけど、最近は自然物と機械的なものを組み合わせるっていうのがなんだかしっくりくるんです。これってどこから来てるんでしょうね。

昔から動物がすごく好きなんです。それと同じくらい、家にある機械的なものがめちゃくちゃ好きで。洗濯機の前で寝たりすることもありました。今思うとですけど、安定したリズムに安心感があるんだと思います。意図せずできた自然物と、人が計算しつくしてつくった機械的なものの組み合わせが心地いいんだろうなって。まだ自分でも理解しきれてない部分もあるんですけどね。

車だったり工場の機械だったりが、どうやって動いているんだろうって観察するのは、もう趣味みたいなものですね。みんな、すごい仕組みを考えて動かしてるんですよ。こういう動きもできるんだ、こういう表現もできるのかって、作品を考える幅が広がるんです。同じくらい、動物も人もよく観察します。みんな歩き方が違っていたり、生き物がその形であることに意味があるからおもしろいんですよ。

作品をつくるなかで、考えるのは一番つらい時間です。だけど、一番大事なんです。つらいけど考えて、パッとアイデアが降ってきた瞬間はめちゃくちゃうれしい。ワクワクする感じがあります。次はそれをどう形にするか考えて、ハッとしてワクワクして。黙々と作業して、できたときにはまたうれしくて。まあ、総じて楽しんです。

いつか、いろんな人が共有して使える作業スペースをつくりたいって思ってるんです。アーティストはもちろん、一般の方も何かを作れる場所を。今は大学の工房も、個人で使える場所もあるんですけど、いろんな人が交わることのできる場所があったら、ものをつくることに対して、もっと好奇心が持てるんじゃないかなって思っています。

ちなみに、取手は大好きなんですよ。なにがいいって、制作するのに、周りを気にせず音をめちゃくちゃ出せる。このあいだ、ものすごくいそがしくなっちゃったとき、ちょっとすみませんって約束を変更して取手に行きました。誰もいない教室で、わーって叫んで帰ったんです。空も広いし、利根川も気持ちいいですよね。