ART LIVES TORIDE ここで芸術が生まれる。

神保 惇
Jun Jinbo

庭に窯をつくってあるんです。炭を使って、12時間くらいですね。ちょうどいい温度でうまく炭化させれば、もっとよく出ると思うんだけどな。下の段と上の段、手前と奥でぜんぜん違うんですよ。次は前のやり方に戻してやってみようかな。

釉薬も自分でいろいろテストしてみて、この辺りの質感がいいかなっていうのを決めて。やりながら、うちの窯だと溶けないものもわかってきたので。調整しながら繰り返してます。自分がきれいだと思うかどうかだけ。売れることを考えたら、この窯だとなかなか採算とれないんですよ。

あの窯で、これまでで一番よく出たのがこれです。

貝殻の内側みたいなの、見えますかね。彩光っていうんです。俺が使ってる土も釉薬もこうならないはずなのに、こんなにきれいなピンク色が出て。できたときは、俺天才だな!世界で一番いい!って思いましたよ。まあ、運がよかっただけなんですけどね。こういうのができるとシンプルにうれしいし、これが支えになるから、それでいいかなって。

やり方は想像がついてきてるから、やっていくうちにまた出るんじゃないかと思うんです。安定して出せるようになったら飽きるから、論文でも書いて終わりにしようって。

なんでも長続きしないので。でも、陶芸をすること自体は、飽きるとかじゃない話になっちゃってて。やってると、自分が落ち着くのがわかってるんですよ。

小学校のころからずっと絵を描いていて、高校は美術コースのあるところに進学しました。そこに穴窯があったんです。それで、陶芸をはじめて。陶芸ができる学校を調べているなかで、藝大って場所があるって教えてもらって。

大学に入って他の素材を触ってみたら木工が面白くて、本当は大学で漆、院で木工をやってみたかったんです。だけど定員があってできなかったりして。今までもやってたし、じゃあ陶芸やるかと思って。そういう流れだったんだなって。

大学出てからちゃんと働こうと、非常勤講師で朝から晩まで働いた時期がありました。その頃はぜんぜん陶芸やってなかったんですけど、しんどくなっちゃったんですよ。

陶芸をやりたいというよりは、やっていたほうが精神が安定するからやってるというだけで。今も、これを仕事だ!とか、これで生きていくんだ!とかって腹をくくったってわけじゃないんですけどね。つくってるほうが幸せになれるっていうのは、俺の場合、明らかだから。それでいいのかなって。つくったほうが楽だからつくるっていう感覚。

つくるのは食器、使うものがメインです。オブジェみたいなものをつくると、なんか気持ち悪いなって思っちゃうんです。型みたいなものがあって、それを破っていくほうがおもしろいものがつくれるだろうなと思っているから。ひたすら型を染み込ませようとしているんだと思ってて。自分が気持ちいいとか、ちょうどいいっていうのを探っている感じですね。

素材に直接触れてつくるのって、粘土くらいかなって思うんですよ。木はノミを介すし、絵も筆が介入するし。粘土でつくる陶芸って、身体の形がそのまま出る。

本質的なものはずっと変わってないと思うな。自分探しみたいなもので。身体をあてて自分自身を観察する。つくったときの気持ちとかテンションが形に出るから、そのフィードバックを観察する。つくったものに対して、こうなるんだったら、次はこうしてみようかなって。そうやって積み上げていくことは、性に合ってるんだと思います。

ずっと同じような作業をしていると、自我みたいなものが消えるんですよね。ああしようこうしようとかって、自我じゃないですか。うるせーなって思っちゃう。できるだけ純粋で、フラットな状態になりたいって欲求があるので。座禅組んでるようなものなんじゃないですかね。

なにかを忘れて夢中になってる状態って、楽しいじゃないですか。社会ってなにかしらのルールに沿わないといけないから、そういったものから解放されて、自由な状態になる。それが俺にとっては、粘土を触っているときなんです。