ART LIVES TORIDE ここで芸術が生まれる。

横川 奈月

小さい頃、中国に住んだ経験があります。インターナショナルスクールとかじゃなくて普通の学校に入ったから、最初は言葉もぜんぜん通じなくて。私は絵を描いたり歌を歌ったりするのが好きだったから、好きなことをやっているうちに人が集まってきたんです。そのとき純粋に、表現する楽しさを感じました。私の表現は、コミュニケーションをとるところから始まったんです。
高校2年生のときの美術の先生が、美術大学に行ってみたら?って言ってくれたのをきっかけに、やってみようと思って。多摩美の版画科に入ったんですけど、映像もつくっていたし、インスタレーションもやったし。最近は文章を書くこともあります。特にアウトプットの形を決めているわけではないんです。

テーマとかコンセプトは作品によってあるんですけど、一貫して作品に現れているのは、弱者とか、分断と越境についてとか。そこから発展して、宗教文化や人間の歴史に興味があります。母親が中国人で父が日本人なんですけど、日本に帰ってきてからも、なんか透明の分断線というか、見えない壁みたいなものを感じることがあって。中国と日本の関係について、人が話していること一つひとつの言葉に対して、神経質に、敏感になってしまうんです。そういうときに感じる、日常のわだかまりみたいなことが蓄積してテーマになっていく感じです。
手を動かすのは1、2割で、あとはずっと考えているような感じだから。作品の数はそんなに多くないんじゃないかな。ずっとぐちゃぐちゃ、考えているんです。人と接したときのちょっとした悲しさや怒りみたいなものを忘れないように、そういう心の機微をメモするのと同じ感じで。備忘録をつくっているような感覚があります。これは友だちと「往復書簡」をコンセプトにした友人の作品に寄稿していたとき、頭に浮かんだものを同じ画面に入れてみたもので。ぜんぜん関係ない写真を50枚くらい重ねて。本当に、その日のメモみたいな感じで。

あとは、人の絵を描くことが多いです。弱い人。社会的な弱者でなくても、自分自身で精神的な弱さを抱えているとか、自分は弱いって思っている人もそうだし。みんな絶対に、弱さがあると思うから。民族的な帰属意識を失った経験があるので、どこにも居場所を感じられない人や、常に孤独感のある人に対して共感が強いんだと思います。
これは大学のときに銅版画でつくった作品で、タイトルは「Mama」。母親と離れて暮らしていた時期があって。顔が思い出せなくなっちゃって、描いてみようと思ったんです。鼻や骨格が丸いことは覚えていて。あとはなんの意味もない形で構成していった作品なんですけど。

つくっている作品を、なんだか怖いって言われることがあります。でも、私のなかでは現実しか描いていないというか。文章も絵も映像も、ほとんどが現実の比喩なんです。母親を描こうとしたら写真を見てそのまま描けばいいのかもしれないんですけど、自分の身体と頭のフィルターを通したいという気持ちがあって。そうすることで、作品に物語が発生するんですよね。私の視点と鑑賞者の視点が互いに交わって、双方向性が出て初めて、現実が見えてくるものだと思っているんです。
これからつくってみたいものはいろいろあるんですけど、ゴッホの「悲しむ老人」という作品をモチーフにしたリトグラフをやりたいなと思い始めたところで。あれは老人が悲しそうにしている絵だけれど、頭を上げたり、羽が生えたりとか。同じ版に加筆しながら刷っていくことで、人の細かな口の動きとか、鼻が膨らんで喜んでいる感じとか、一一瞬の動きをとらえられたらって思っているんです。単にコロコロ変わるというよりは、潜在的な性質がなにかの拍子に溢れ出すんじゃないかという感覚があります。

取手生まれではあるんですけど、中学も転々としていたし、同級生がいる感じでもなくて。美術をやっている知り合いはいます。あとはおばあちゃんがクリスチャンで教会に通っていて、このあいだは教会の映像をつくりました。
よかったら紅茶でも飲んでいきませんか?人と話すのは好きなんです。普段どんなことしているのか、よかったら聞かせてください。